前橋家庭裁判所沼田支部 昭和37年(家)128号 審判 1962年5月25日
審 判
申立人
M文子
右法定代理人親権者父
MI
法定代理人親権者母
MT
右の者からの名の変更許可申立事件について、当裁判所は次のとおり審判する。
主文
申立人M文子の名を「勝美」と変更することを許可する。
理由
(申立の趣旨およびその実情)
申立人M文子(昭和三七年三月二六日生)は父MI(昭和一二年八月三日生)と母MT(昭和一四年一〇月二二日生)との間に出生した長女である。
しかして、右IとTとは昭和三五年五月一〇日知人の媒酌によつて結婚し、爾来住所地である(省略)において遊戯場、射的場、つり堀等を経営し、冬季は右のIが貸スキーを営みその傍同人はスキーヤーのコーチ(準指導員)をもしたり等し、Tはその妻としてIを助け相携えて新家庭の建設にはげんで来たものであつて、夫婦間は円満かつ平和なうちに推移していた。
しかるにIはTと結婚する以前一時東京都内の旅行案内所につとめたことがあり、その頃すなわち昭和三二年頃、同都内の某製薬会社にタイピストとして勤務していた「Y文子」なる女性と知り合うに至り同女と相思相愛の仲となつたのであるが、双方の家庭的な事情から結婚することができず、Iは同女を諦め前記のように住所地に帰郷し、前記とTと結婚したのであつた。ところが昭和三七年一月頃Iが水上附近のスキー場に出かけた際、偶然右Y文子も同スキー場に来場しており、Iと相会するや同女はIに対し今なお根強い恋情を抱いている旨を打明け、Iより同人が既にTと新家庭を形成し長女の出産も間近かである旨を聞知したにも拘らず、Iを誘い旧交を温ためたい旨申し入れひそかに再会しようとはかつたため、右Tの出産入院中Iも亦Yに宛てて恋情をこめた恋文をしたため、その草稿を自宅に捨て忘れていたところ四月一五日Tが帰宅し右草稿を発見するに至つたものであつて、その文面によればIは「現在結婚しているのを後悔し、妻や子供がいなかつたら二人で(Yと共にの意)どこかへ行つてしまいたい。文子さんの為なら命も惜しくない」等というような容易ならざる文字を書きしるしておることを知り、Tは愕然として驚きただちにIに対し事の真否をただし、併せて長女にIが「文子」と命名した事情についても詰問し、たとえIが右Y文子に対する恋情を温存しこれにあやかる意図からなしたものでないとしてもTの感情として這般の経緯を知つた以上、最早最愛の長女を呼ぶのにかくの如き名を以つてすることは母とし子として到底でき得ないところであつて、夫Iの真情の以何によつてはただちに離婚しこの不愉快かつ拭うべからざる汚辱と訣別せんとまで決心したというのであるが、Iも事の重大なのに気付き翻然その非を認め今後前記Yなる女性とは一全交際をたち一家の平和をまもる旨を誓約するに至つたので、夫妻は右長女の名前を「文子」でなく「勝美」と改めることとし、出産祝にも「勝義」としるして披露し、ここに夫妻相携えてこの改名方の許可を求めるに及んだもので、右Tの心情としては改名方を許可されないならば、終生長女の名を呼ぶ毎に右の如き耐え難い思いを呼び起すことともなり、かかる不愉快な記憶につきまとわれるのであるならばむしろ離婚しかような不愉快な感情と訣別したく考えているというのである。
(当裁判所の判断)
本件申立の趣旨およびその実情は前記のようであるが、その真意をそんたくするに、右「文子」なる名前を命名するに際しその母Tは前記のような事情について全然関知しておらず、もしかような事情を知悉していたならば右の長女に命名するに「文子」なる名前や文字を避けたであろうということは想像するに難くないのみならず、通常人としては誰しも当然避けるべきところと考えられるのであり、またこの名前を維持させることは右の長女自身にとつても穏当ではないであろうと考えられる。ましてやその両親にとつて不愉快な感情をかもしたり家庭の円満や平和を脅やかす要因となることは明瞭であるのみならず、家庭生活の破壊を来しかねないものと思料せられ、ひいては長女自身の幸福を阻害しその生活基盤をあやうくする可能性もはらんでいるものと言いうる。
それ故、右「文子」なる命名はそれ自体一種の錯誤によるものと言いうべく、申立人自身の社会生活上に支障を及ぼすものと解しうるので本件申立は正当な理由のあるものと認められるので、戸籍法第一〇七条第二項、特別家事審判規則第四条によつて右申立を許可すべきものと思料する。
よつて、主文のとおり審判する。
昭和三七年五月二五日
前橋家庭裁判所沼田支部
家事審判官 藤 本 孝 夫